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名古屋の記憶

2000年版の超整理手帳を読み返しています。

こまめに記入している印象を改めて持ちました。忘れん坊なのでそれくらいでちょうど良いかとも思います。大阪在住時の記録です。

名古屋で転地療養中であった父のもとを訪ねた記憶が、併せて浮かび上がりました。近鉄特急をもっぱら利用し、新幹線は眼中になかったの がわかります。堺市内から新大阪へ出て、自由席に飛び乗るより、わずかに時間がかかる程度で名古屋まで行けていたら、料金安価なほうを選ぼうというもので す。学生生活は赤貧でもありましたし。

惜しむらくは、フィルムカメラを使いこなす腕も当時なかった点です。名鉄の記録をしておけば良かったと激しい後悔の念に襲われました。 鉄道オタクによる回顧の危険な面です。デジカメを得るのは2003~2004年頃であったと思います。それまでもうちょっと写真の腕とフィルム代を得てお きたかったものです。

当時から交流のある愛知・三重の方々とは、今でもたまに手紙やメールを交わしたり、お会いすることもできるのが幸いなことと思い新たに しています。

あとは……専門学校の重要事項ばかりですね。介護実習が云々、提出書類がかんぬん。
「超」整理手帳1年生だった私。名阪間の様々なことを思い出させてくれました。当時の自分に一応の拍手を。年度始からこんな更新で良いのかしら。

(2017-04-25)

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