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なぜに超整理手帳と別れたのか

アメブロでも書いた内容を改めてこちらのサイトでも。

手帳にまつわる思い出を記すこのサイト。ながらく更新放置で申し訳ありません。復帰更新が「手帳との別離」で何だかな、ですがまあご高覧賜りたく存じます。

16年間使い込んだ、超整理手帳。予定管理の面では、手帳の有能さに対する信仰心めいた心情の変化はありませんでした。手帳の用途に変化が出てきたのです。予定を戦略的に組むよりも、ライフログを記していく用途への変更(偏向)。ここで思い切りました。ほぼ日手帳への乗り換えです。

超整理手帳の予定欄に、ライフログを書き込むことはしませんでした。別途折り込んでいた、A4のコピー用紙につらつらと書いていたのです。これでも実質無限のメモスペース(理由詳細を省きます……失敬)ではありました。思いつきから行動記録まで、いろいろ書き込むこと自体に問題はありませんでした。私の中で、ライフログ振り返りの支障となったのは、このメモ用紙を手帳にはめ込んだままにできなかったことにあります。

超整理手帳(リフィル式手帳と言っても良いでしょう)に折り込んだメモ用紙。これはそこそこの量になったところで、調整理法の肝「押し出しファイリング」へと格納していきます。ライフログを振り返る際に、このいったん格納した用紙を再参照するのが億劫になったのです。ほぼ日手帳ならば、予定ページ(月間)と日ごとのページ(一日一ページ)とが同じ一冊の中にあります。すぐに一冊の手帳内で、予定もその年のライフログも参照できるのです。

要は、手帳自体の欠陥性ではなく、私自身の用途変化が、超整理手帳との別離のカギなのでありました。

なお、一種の不便さと危険性に身を浸すこととなります。ライフログや発想のローデータを、ほぼ日手帳とは別の一冊のノートに時系列で記していくという点です。手帳とノートの二冊態勢。これはこれで煩雑です。ノートを失うと、ローデータをも失うことになります。持ち運ぶ際には、やや厚めのほぼ日手帳と、ノートを持たないとなりません。

ですが手帳乗り換えからすぐに、ほぼ日手帳とローデータノートの二冊態勢には慣れました。環境改善より、自分を環境に落とし込むほうが楽な生き方をしているからかもしれません。

今にしての想像を〆に一つ。もし、今も超整理手帳を使っていたとしたら。手帳リフィルに挟んだメモ用紙を、その都度iPhoneで撮影、Evernoteに落とし込みをしていたかもしれません。それはそれで撮影の手間が要りますが。Evernoteも有料プランにしていたでしょう。

別離を主題に書きました。でも最終更新ではありません(予定)。またの更新でお目にかかりましょう。

(2018-06-28)

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